それぞれのキャリア形成

01

挑戦する機会を
与えてくださったことで、
自身のスキル向上に
つながりました。

製造部/技術部 経営改善執行役・製造部部長・技術部部長

佐々木 健二

1999年入社

学生時代からハジメ産業に入社するまで 私が就職活動をしていたときは、就職氷河期と言われており、かなり苦戦しました。そんな中、ゼミの先生と平会長が先輩・後輩の関係だったこともあり、先生からハジメ産業を紹介していただきました。大学では化学を専攻しており、新素材の開発について勉強していて、樹脂は専門外ではあったものの、今後も需要が増えていく業界だと思い、将来性を感じました。

  • 入社1年目樹脂の射出成形は、樹脂材料を準備し、金型をセットし、樹脂材料を射出する工程を踏むのですが、最初はとても複雑に感じました。成形機の操作や樹脂の種類、付帯設備の操作方法なども憶えなければならないので、大変でしたね。だから、分からないことは上司や先輩に質問したり、自分自身でも勉強して解決していきました。

  • 入社3~4年目 製造1課の課長補佐を経て、課長になり、それまでの現場仕事から管理業務に軸足を移すことになりました。現場仕事と管理仕事の両立を模索していましたが、最初はなかなかうまくできなかったです。上司のサポートでかなり助けられましたね。いまだから言えることですが、当時の部下はほとんどが年上だったので気を遣う部分もありました。

  • 入社10年目 パナソニック様のエアコンルーバーの成形が始まった時期でした。技術的に初めての挑戦であり、難易度は相当に高かったと思います。試作(開発)から量産までトライ&エラーの連続。かなり苦労したのを憶えていますが、金型、検査、組み立て、溶着など、さまざまな部門が協力したからこそ、量産まで到達することができました。私は成形工程の中心的存在として仕事にあたっていたのですが、特殊な成形条件を確立していく過程を経験したことで、多くのことを学ばせてもらいました。

  • 入社13年目 製造1課から技術部へ異動しました。当初は期待と不安が入り混じった複雑な心境でしたが、金型、金型加工、治工具、設備を技術面から見れるようになったことや客先との対応など、これまで経験してこなかった業務を学ばせてもらい、勉強になりました。

  • 入社16~21年目 技術部から製造1課の課長へ戻り、その6年後に製造部の部長へ。製造1課から製造部全体の長になり、他社からの相談ごとや他工場の生産案件、従業員の悩みごとなど、これまであまり経験してこなかった業務を担当するようになりました。今でもうまくできているとは思っていませんが、会長、社長、同僚、部下のサポートのおかげで仕事を回せていると思っています。私の使命は、皆が向上心を持って活気ある職場環境をつくること。その実現のために今後も努力していきたいです。

これまでのキャリアを振り返って思うこと

樹脂成形については、技術的に難易度の高い多くの製品に挑戦できたおかげで、自身のスキルは大きく向上したと思います。技術の伝承や管理、部下のモチベーション向上など、まだまだ課題はありますが、日々努力を積み重ねることで解決したいと考えています。

02

これまで以上に
リーダーシップを発揮し、
工場で働くみんなを
引っ張っていきたい。

製造部 稲沢・稲沢第2・草津工場長

大橋 正人

2002年入社

学生時代からハジメ産業に入社するまで 学生時代は野球やサッカーをしていたこともあり、チームをまとめるリーダー役を買って出る性格でした。リーダーは責任感を持つこと、リーダーシップを発揮すること、そして結果を残すことが最も大切だと思っていたので、自分もそれを達成できる存在になりたいと願っていました。常に個人よりも仲間を大切にしてきたように思います。

  • 入社1年目 入社時は38歳で妻と子どもが2人いました。これが最初で最後の転職だと決意し、入社したのを憶えています。1年目は初めての仕事で大変でしたが、先輩や上司に仕事のことを相談できたのが救いでした。アットホームな雰囲気だったので、何とかこの会社で頑張ろうと奮起。負けず嫌いの性格もあって、何とか乗り切っていった感じです。

  • 入社2~5年目 前向きな姿勢でいろいろな仕事に挑戦しました。そこで学んだのは、困ったことや自分自身で解決できない課題に直面したときは、自分ひとりで抱え込もうとせず、信頼できる先輩や上司に相談することが大切だということ。私の場合は会長や社長など経営陣とよく話をさせていただきました。そのおかげで少しずつ問題解決力を身に付けることができるようになったと思います。

  • 入社6~10年目 身に付けた問題解決力を生かし、お客様との折衝や後輩たちとのコミュニケーションも良好に進むようになりました。ただ、今振り返ると「リーダーはこうあるべき」という強い想いが悪い方に出てしまったと反省することもあります。特に「自分が正しい」と思い込むことがあったので、周囲の方々とのギャップを作ってしまったこともあったかと思います。

  • 入社11~14年目 職制の立場とその責任感から、発言や行動が空回りすることが多々ありました。リーダーとして責任があるので、何とかしなければと先走って、うまく気持ちをコントロールできなかったのかもしれません。私の下で働いていた社員の方々には、申し訳なかったという気持ちも残ります。ただ、そんなときも温かい目で見守っていただけた経営陣や先輩たちには感謝の気持ちしかありません。その想いに報いるべく、気持ちを新たに再出発しようと誓った時期でした。

  • 入社14~16年目 本社工場を離れ、稲沢や草津の他工場に出向。大きな転換期だったと思います。出向先でも自分に厳しく、人にやさしくする気持ちを忘れず、新しい仕事に取り組んでいきました。今後も真摯な姿勢を持ち、お客様や仕入れ先様を第一に考え、共存共栄していく気持ちを大切にしていきます。

これまでのキャリアを振り返って思うこと

自分自身は小さな存在でも会社という組織になれば、大きなことを成し遂げることができます。会社で働くことは、人と信じ、人と協力しあっていくことが最も大切だと実感しています。また会社にはさまざまな役割、キャラクターを持った多様性のある人材が必要であり、それらを大切にすることが会社発展のカギなのかもしれないと感じています。常に『感謝の気持ちを持つこと』を心がけ、身に付ける事を学びました。

03

中国人であることを生かし、
ハジメ産業のグローバル化に
貢献したいです。

営業部 営業課 主査

封 志強

2007年入社

学生時代からハジメ産業に入社するまで 私は中国の河北省出身。来日してから日本語学校に通いはじめ、半年くらい経ったときのこと。当時の私は日本語がうまく話せず、悩んでいました。あるとき、中国人の知り合いが通訳をやるようになり、日本語が日に日にうまくなっていくのを見て「このままの自分ではダメだ」と決心。工場のアルバイトを辞め、日本語を話す機会の多い居酒屋で働くことにしました。その後も電子辞書を片手にスーパーのアルバイトもしました。駅では駅員さんに声をかけ、見知らぬ人に道を尋ねたりもし、会話の練習をしました。その結果、日本語の検定一級を2年で取得することができました。いま振り返ると、あのとき自分が積極的に行動しなければ、いまの自分はなかったと思っています。

  • 入社1年目 最初に配属されたのは、営業部。見積り作成の手伝いをしたり、試作サンプルなどを仕入先に配ったりして先輩たちのサポートをしました。当時は人手が不足しており急遽、現場の作業を応援することもありました。プラスチックのことがまったく分かってなかったので、名前や特性などを憶えるのに必死でした。当時はなんで金型が数百万円もするのか、不思議でしたね。

  • 入社2年目 製造部に異動。パナソニック様向けのシャワートイレの組立現場管理とお客様のデリバリ窓口を任されました。初めての仕事でしたが、先輩たちにサポートしていただきながら、知識を蓄えました。仕事の内容は、中国にある子会社から輸入部品を手配し、到着した荷物の受取り、客先支給品の催促・調整、組立作業・完成品検査工数の把握など。やることが多かったのですが、とても充実していたし、中国語を母国語とする私の強みを生かせた仕事でした。

  • 入社3年目 パナソニック様に仕事に加え、給湯器用の部品を製造するタイム技研様のデリバリも担当になりました。受注を受け、納期の決定や出荷業務の段取りなどを行いました。さらに半年後、タイム技研様の営業担当にもなり、初めてやる業務が増えましたが、先輩たちに応援していただきながら、何とか乗り越えました。

  • 入社5年目 営業部に戻り、製造部で積んだ経験を生かしながら、営業活動に必要なスキルの習得を始めました。CAEを使った流動解析も大変でしたが、金型の知識習得や金型の修正指示の出し方は特に苦労しました。いろいろと至らない点があり、仕入先にも社内にも迷惑をかけてしまいました。金型の知識を習得するため、ばらしてその構造を確認したときもありました。そのおかげで、だんだんと金型の仕組みが分かるようになってきました。

  • 入社11年目 新規製品の受注後、量産できるまでの立上業務する部署を作ることに。そこで新しくできた技術部の生産準備課に異動になりました。新しい部署なので当然、ルールや規定はなく、ゼロからのスタートでした。業務内容の整理から金型仕様書の改訂、課員への教育、トラブル対応など、仕事に追われた日々でした。

  • 入社13年目 営業部に戻り、これまで得た経験と知識を最大限に生かし、お客様に感動に与えるような提案型営業を心掛けて活動しています。今後もお客様のニーズに合わせながら、これまでハジメ産業で手掛けてこなかった技術を開拓し、邁進していきたいと思っています。

これまでのキャリアを振り返って思うこと

入社してからいろいろな経験させていただき、本当に感謝しています。今の自分はそれらの経験の上で成り立っています。私は試したいと思ったら、やってみないと気が済まないタイプ。新しい技術やツールはどんどん取り入れていきたいですね。これからも経験と知識を生かして、大きな成果を出せるように営業活動を頑張っていきます。

04

部下と同じ目線になり、
一緒になって
仕事をするスタイルで、
経理部門をまとめていきます。

管理部 経理課 リーダー

増田 才蔵

2008年入社

学生時代からハジメ産業に入社するまで 大学では外国語学部でスペインや中南米の言語や文化を学んでいました。ポルトガル言語圏は、当然ですが日本とまったく違う言語体系や文化・風習があり、その違いを学んでいくのは、とても有意義な時間でした。

  • 入社3年目 入社当時は営業部に配属されましたが、3年目で経理課に異動。もともと几帳面な性格だったこともあり、経理の仕事のほうが向いているのでは、と思っていました。経理課では仕入れや売上管理など、お金に関することだけでなく、社内規則の作成や社労士との打ち合わせなど、総務的な仕事にも携わりました。

  • 入社10年目 日産のグループ会社がメキシコに工場をつくる情報があり、ハジメ産業もグローバル戦略の一環としてメキシコに進出することになりました。私は現地の言葉に明るかったことから、メキシコに行って契約などの補助業務を担当しました。現地の言語や文化を学んでいたものの、これまで行ったことはないし、当時は不安で仕方なかったですが、とにかく必死で仕事をこなすことに専念しました。現地に行きっぱなしではなく、2週間滞在してまた帰国するといったようなスケジュール。計3ヶ月ほどの任務を果たしました。今思えば、貴重な経験ができたと思っています。

  • 入社13年目 経理課で役職をいただき、現在は部下をまとめる立場ですが、初めてのことなので試行錯誤の連続です。常に「部下に気持ちよく働いてもらっているだろうか?」と気にしながら、職場環境を整えられるよう努めています。上から命令したり、従わせたりするのではなく、部下と同じ目線になり、一緒になって仕事ができるようなスタイルで経験を重ねていきたいと思っています。

これまでのキャリアを振り返って思うこと

入社して14年になりますが、現在までいろいろな経験をさせていただき、自分自身も少しずつですが成長できていると思います。メキシコの拠点立ち上げは、当時は本当に不安しかなかったですが、いい経験ができたと実感しています。今後も経理の立場からスーパーエンプラの価値がこれまで以上に上がるような取り組みができればいいなと思っています。

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